気ままに

看護師を定年して気ままに生きてます

笑顔の写真。(看護師の記憶)

この歳になるといろいろ考える。

遺品整理は残された娘に負担はかけたくない、お金もかかると聞く。

私も本格的に整理をし始めている。

 

まず、引越し以来数年、段ボールに入ったままのアルバムがある。

ビニール袋に入ってるバラ写真。写真を選んでいると、なかなか進まない。

 

そんな中、懐かしい利用者さんの笑顔の写真があった。

訪問看護ステーションを始めて間もないころ。

印象深いというか、気になる家族であった。

 

夫80代、妻70代前半、息子30代後半で団地1階の3人暮らし。

娘もいたが1年前に自殺した。息子は知的障がい者で引き籠り。

妻が転倒し腰椎骨折で、痛みも強く動けない状態。

入院も勧められていたが、夫や息子が心配で断っていた。

 

夫は骨折を簡単に考えていて、日にちがくれば回復すると思っていた。

妻は軽い認知症もあり、家計や家事は夫が主に行っていた。

毎日、妻に少しは我慢して動くようにと、夫はハッパかけているつもりだが、

実際は怒鳴り散らしていた。妻は萎縮してオドオドした表情。

 

早速、介護認定の申請をし、すぐヘルパー支援と訪問看護を準備した。

訪問看護で関わってから、妻は怠けている寝てばかりいると夫の愚痴が第一声。

 

「今は安静の時期。無理して動くと、骨が曲がってつながると、歩くのに

 困るよ。先生も動かないでと言ってましたよね」と話すと納得したようだが、

夫は認めたくないのか、理解している様子は伺えない。

 

元々、夫は薬が嫌いでのみたくない、のませたくないが持論。

食べることが一番と思っていて、息子も処方された薬をきちんと服用してなかった。

すぐに主治医に状況を伝え、訪問看護の指示をもらい服薬管理は開始した。

 

ヘルパー支援と訪問看護で家族を支えるようになって良い変化が出てきた。

妻の痛みも軽減し、夫は家事の負担が減り、息子も布団から出てきた。

 

これから、リハビリも取り入れながら、1日を楽しく過ごすには、どうしようかと、

家族でできる、誰でもできる、面白いこと等で話し合った。

トランプ、花札の希望が出た。(妻と息子が積極的)

アソビリテーションのひとつとして、できるのでしましょうと提案で始まった。

ルールを覚え慣れたら、負けも笑いになった。

 

服薬の大切さや、痛みは我慢しないでいいこと、社会資源は活用しようと

リハビリをしながら、会話の中に入れて繰り返し伝えていった。

 

3ヵ月過ぎたころには妻の動きも戻り、夫は表情が柔らくなり、息子も訪問を楽しみにしているようで、訪問日にはテーブルにトランプを準備していた。

このころは息子も内服はきちんと服用できるようになり、服薬確認になった。

花札で勝ち続けたのは妻だった。

息子は、以前に通っていたB型作業所に行くようになった。

この家族とはステーションを閉鎖するまで続き、最後の別れの時は涙だった。